あけましておめでとうございます。坊守です。
もう 20日も過ぎて新年のご挨拶という時期では無くなってしまいましたが私にとっては今年最初の投稿ですし、
今年も私の思ったことをつれづれに書いていこうと思います。
どうぞよろしくお願い致しますm(__)m
お正月は凄く雪が降りましたね。
子どもたちは大喜びでした。
ジャンパーも着ないで雪遊び
大阪ではなかなか積もる事もありませんので、おばあちゃんのお家で雪遊びは素敵な思い出になりました。
ひとしきり雪遊びをした後、「あれしよあれ‼︎」と思い出したように戻ってきて
「黒い紙は〜」「虫眼鏡と〜」なにやら準備をしだした子どもたち。
みなさん雪の結晶がみえることご存知でしたか?
私は大学に入るまでの18年間雪国に住んでいました。
冬になると雪が降り、積もるとそり遊びやスケートリンクを作れる程の地域です。
でも知らなかったんです。
空から降ってくる雪の一つ一つが結晶で、しかも肉眼で見えることを!
冬の始まりに図書館で
〝雪の結晶ノート〟 あすなろ書房
と、いう絵本のようなサイズの本を借りてきました。
雪の結晶のでき方や結晶の形について書かれた本です。
そこには雪の観察の仕方とあり、興味を惹かれた親子は雪が降るのを楽しみにしていました。
そしていよいよ楽しみにしていた雪の日。ノートにあったことは本当でした。
針のようなトゲトゲの六角形の結晶。
その後違う地域でも雪の結晶の観察。
今度は平たい六角形板状の形。
上空の気温の違いでできる形状は様々ですが必ず六角形になるそうです。
雪国に生まれ、冬になればうんざりする程見てきたのに一体何を見ていたんでしょうね。
目の前にまるでアニメの世界のようにキラキラとした美しい結晶が無数に落ちてくる光景。
この出来事は私に考えるきっかけをくれました。
よく「お釈迦様の教えはいつも私たちの身近にあり、いつも手を差し伸べてくださっている。」とお話を聞かせていただきます。
しかし、言葉では理解できますが、ピンと来ていなかったところもありました。
もしかしたら雪の結晶に気が付かなかった事と同じで、私が見る事をしないので気付く事が出来ないのではないか?
いつも私たちはキラキラと輝き降り注ぐ教えの中に立っていて
本当は両手を開いて見てみたらそれを受け取り見ることができる。
なのに気が付かずにいて見ようとしていなかっただけなのではないか・・・と。
新年早々にほんのちょっとではありますが、気が付かせて頂けて嬉しかった(*^_^*) そんな事を感じたお正月でした。