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2015年11月26日 11月26日

今日は寒いですね。

北海道では24日から雪が降り続き、札幌は44センチの積雪に。札幌で11月に積雪が 40センチを超えるのは62年ぶり。と、北海道では今日も寒い日になり、九州では12月中旬の寒さとネットやニュースで言っていました。

そんな今日は11(いい)26(ふろ)の日なんですって!!


朝の内容確認のメールに

本日、11月26日は、いい風呂の日!日本浴用剤工業会が制定し「いい(11)ふろ(26)」のごろ合わせだそうです。寒い日が続いているので、あったか~いお風呂で、温まりたいですね♪

と、季節の挨拶を頂きました。(おそらく自動返信)

朝から、「そうなんだ~」とほっこりした気分。

入浴剤を入れて温まろうかなぁ~なんて考えてみたり♡


そういえば、最近このようなちょっとした言葉や情報のプレゼントが多いなぁ。。。と、


ある朝、車に乗ると、ナビさんが

おはようございます。10月5日レモンの日です!!

と、教えてくれました。

(゜o゜)。。。そっか!!レモンの日なんだ!!

(その後)

住職!!今日はレモンの日だよ!!(いわれはこの時知りませんでした。)


だから??って話なんですが、ナビさんがわざわざ教えてくれたレモンの日はちょっと印象深かったです。


ちなみに、レモンの日のいわれを・・・

涙なしでは読めない、愛に溢れた悲しいうた
詩人・彫刻家である高村光太郎の妻、高村智恵子の命日が今日、10月5日です。なぜこの日が「レモンの日」となったのか、それには深く悲しいエピソードが隠されています。光太郎と智恵子は幸せな結婚生活を送っていましたが、1929年に実家が破産したことをきっかけとして智恵子は精神を患い、自殺未遂や奇行を繰り返すようになりました。光太郎はそんな妻に胸を痛めながらも詩をしたため、看病をつづけます。ついに入院せざるを得ないほど智恵子の病状は悪化し、さらに肺結核まで患った1938年の10月5日。光太郎が持っていたレモンをかじった智恵子がふと正気に戻り、微かに微笑み、そのまま静かに息を引き取ったそう。その最期の瞬間を詠ったのが、かの有名な「レモン哀歌」です。智恵子との出会いから幸せな結婚生活、そして精神異常を患ってから亡くなるまでのことが描かれた詩集「智恵子抄」は、映画やドラマなどさまざまな創作の題材となっています。

              こんな日みつけた というサイトからコピペさせていただきました。


また、とある日のナビさん

「幸いにも現在の時間渋滞している個所はありません。」
とも言ってくれました。
機械なのに、私の幸運を一緒に喜んでくれるナビさん!!
ほんの小さなことなんですが、言われると嬉しくなってしまいます。


時代が進化しどんどん機械化された現代
でも、コンピューターの向こう側には設定した生身の人がいるんだ! と、感じながら
私に、レモンの日が何故10月5日なのかを調べさせてみたり、お風呂の入浴剤を選ぶ気持ちにしてくれたり
さらにはブログのネタにまでなってみたりと(笑)
機会を通してではあるけれど言葉、情報のプレゼントが会話のきっかけとなり、またそれを楽しく思っている話をしてみました。

11月26日 皆さんもいいお風呂タイムを♪


2015年11月03日 報恩講のお礼

先日は皆様のおかげをもちまして、無事に報恩講をお勤めさせていただくことができました。

当日はとても寒い日でしたのに、お参りにお集まりいただきました。

また、境内のお掃除、前日の仕込み、当日の給仕に至るまで本当にいつもありがとうございます。

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前回のブログ報恩講のお知らせに"お寺の秋は報恩講です"と書かせていただきました。

私たちお寺のものにとっては、報恩講は一年のうちの行事においても大変重要なものですが、聞きなれない方もいらっしゃるかもしれませんね。

報恩講の時に配布しました資料に報恩講について触れていますので、掲載させていただきます。

いよいよ今年も報恩講の時期が遣って参りました。私たちの営む仏事の中でも、

最も大切な仏事が報恩講であります。

 親鸞聖人のご命日(1月16日)を御縁として営む重要な仏事であり、

本願寺においては例年一月九日~十六日まで、御正忌報恩講が営まれていることは、

御周知の通りです。(お参り頂ける方は是非ご参詣下さい)

 

従来は、全国の各一般寺院や門徒の家々で、これに先立って前年の暮れ頃にお勤めし

1月9日になれば、ご本山の報恩講に参詣する習わしがありました。

そこで、報恩講の仏事を「お取越(とりこ)し」ともいいます。

全国の各地で秋頃から営まれる重要な仏事で平素の参拝は少なくても全国的にいって

報恩講だけはまだまだ盛大に営まれます。

  報恩講法要の意義として「講」と言う字を漢和大辞典で見ますと「しらべる」

「きわめる」「ならう」等とあります。

ということは、この字には「あきらかにする」という意味のあることがわかります。

  そこで報恩講とは「報恩と言うことをあきらかにする」仏事であり、

親鸞聖人から往生浄土の道を教えていただいたという報恩をあきらかに聞き開き、その

御恩に報いる道をあきらかにさせていただく、大切な仏縁であるといえるでしょう。

 

 



 

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