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2014年08月13日 ご本山にて

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先日住職が京都に出かけましたので、私も電車で京都に向かい所用を済ませ、ご本山で待ち合わせ。

この日はとても天気が良く、ジメジメ感こそありませんでしたが、とても暑い日でした。

4時くらいだったのでしょうか、丁度喚鐘の音。

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阿弥陀堂でご法要が勤まるようで、折角ですので一緒にお参りさせていただきました。

四人横一列。

殆どない並びです。

父親に倣い手を合わせお辞儀をする二人。

念仏聞くゆっくりと静かな時間。


夏休みの一日

少しひんやりする阿弥陀堂の中で、

正座で背筋を伸ばし、手をあわせる家族の時間でした。


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2014年08月01日 8月ですね

今日から八月

こう毎日暑いと本当に嫌になってしまいますね。

先日盂蘭盆会の法要が行われましたが、ちょうどいい機会でしたのでお焼香の仕方をお話ししました。

その時のお話を少し書きますね。


お焼香はどのようにするのか?


お葬儀に行ったとき、本山でお参りした時、法事の時とたびたびお焼香をする機会があるわけですが、

なんとなく前の人のを見様見真似

「こんな感じかなぁ?」と迷っている事も多いのではないでしょうか?

私も子供たちとお焼香をする機会が多いわけですが、

何をするのか感じをつかんでもらおうと、子供に 「前の人のを見てて」 というと

「なにをしているの?」「食べているの?」と、よく分からない様子。

大人はさすがに食べているとは思いませんが、いまいちわからないという方も多いのでは?

そもそも、この香というのは、仏さまに奉げるものではありません。


自分自身の身を浄めて仏さまを拝む というのが本来の焼香の意味です。


ですから、香をいただいて(頭上にあげて)焼香をしていらっしゃる方もありますが、自身の身を浄めるための香を拝むというのはおかしいのですね。香をいただく必要はなく、一つつまんで、香炉に静かに落とし、その後合掌されればよいのです。


ではなぜわが身を浄めるのか?


親鸞聖人は煩悩具足とおっしゃっておりますが、煩い悩み、そういった一切のものが、人間の体には備わっている、具足しているんだ。という風に自分自身も含め見ていらっしゃいます。このような汚い心、身体を香のかぐわしいにおいで消し浄めて、清らかな心で御仏を拝むのです。香を焚くということにはこのような意味があります。


先日のお盆会では宗派によって作法がちがうのでは?とのご質問も頂戴いたしました。

そうなんです。今書かせていただいたものは浄土真宗ではこのようにお焼香しますよ。

ということを書かせていただきました。

なので、他宗の方のお焼香の仕方はわかりませんが、

お葬儀によってはこのようにしてください。と、お知らせくださることもあるそうです。

その時は故人様の宗派にのっとり、教えていただいたようにお焼香してくださいね。

特に指示がない場合はご自身(浄土真宗ですね)の宗派でお焼香させていただきましょう。


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お盆の季節お焼香する機会がありますのでお知らせまでに書かせていただきました。 坊守